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吉阪隆正設計 アンデスに沈む夕陽色の壁が美しい 語学学校「アテネフランセ」


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語学学校

アテネフランセは御茶ノ水にある1913年創立の語学学校です。主にフランス語と英語、そして古典語コースで古典ギリシャ語とラテン語のコースがあります。日本最古の伝統ある語学学校だけに、谷崎潤一郎、坂口安吾、中原中也、澁澤龍彦などを筆頭に言語学者、翻訳家、シャンソン歌手、俳優とさまざまなジャンルで活躍された著名人を輩出しています。

アテネフランセ

吉阪隆正

アテネフランセを設計した吉阪隆正は、少年時代を外交官であった父の任地ジュネーブで過ごし、帰国して早稲田大学へ行きました。フランス語が堪能であったことから戦後ル・コルビュジエのアトリエに勤務していました。ですから前川國男、坂倉準三、と並んでル・コルビジェの3人の日本人弟子と称されています。帰国後は早稲田大学教授として、またU研究室のボスとして、多くの建築家を育てました。また、建築の枠にとどまらず、教育者・登山家・冒険家・文明批評家としても多くの表現者に影響を与えた人物です。

アテネフランセで最も目を引くこのピンク色は吉阪の「アンデスに沈む夕陽」の色という指示で塗装された壁です。アンデスの夕日を見たことがないので、どのくらいこの色が本物に近いのか分かりませんが、強烈に印象に残る色であることは間違いありません。

吉坂隆正設計 アテネフランセ

また、このアルファベットはコルビジェが多用していたステンシル文字の字体です。ただの「アンデスに沈む夕陽」色の壁ではなく、このステンシル文字があることでだいぶ印象が変わります。

この大胆な色使いや文字による遊びなどは、きっとコルビジェの影響でしょう。吉阪がコルビジェのアトリエに在籍していたのは、ユニテ・ダビタシオンやロンシャン礼拝堂を設計していた頃と言われています。その頃のコルビジェの仕事を学んで帰国してきた吉阪隆正ならではの建築かもしれません。▼

吉坂隆正設計 アテネフランセ

1962年竣工ですからそろそろ60年が経とうとしています。今でも十分斬新なファサードですから、当時はどれだけインパクトがあったでしょうか。

吉阪隆正のもう一つの代表作についてはこちらを参照ください。▼

吉阪隆正 設計 大学セミナーハウス 楔のような本館だけじゃない! 1期〜8期工事まで 現存建築全部見てきた!

アテナの横顔

入り口の庇も独特の形状をしています。また、アテネフランセのシンボルである女神アテナの横顔がアンデスに沈む夕陽色の壁の上に取り付けられています。▼

吉坂隆正設計 アテネフランセ

実は強烈なアンデスに沈む夕陽色の壁はアテネフランセの建物の一部です。全体はこんな感じです。夕陽色以外は深いボルドーでアルファベットの代わりにアテナの横顔が型どられています。▼

吉坂隆正設計 アテネフランセ

アテナの横顔は白く塗装されています。実はこちらの壁もなかなか大胆で可愛いです。▼

吉坂隆正設計 アテネフランセ

アテネフランセと書かれているその上によく見るとふくろうがい流のがわかるでしょうか。これは実は飾りではなく避雷針なのです。遊び心あり過ぎです。

更に手前のギラギラしたファサードは後に増築されたのですが、こちらも吉阪隆正設計です。あまりの違いに同じ建築家が手掛けたとは思えないファサードです。▼

吉坂隆正設計 アテネフランセ

コロナがなければもうとっくに終わっていたのですが、2022年3月から東京都現代美術館で「吉阪隆正展」が開催予定です。これは楽しみです。展覧会を見てからここに来るか、ここを見てから展覧会へ行くか。どっちにしましょう。

御茶ノ水の駅から徒歩で約7分、水道橋からなら5分ほどです。この壁ですから通り過ぎてしまうなんてことはありません。神田川と線路越しにノーマン・フォスターの元旺文社センチュリータワー(現順天堂大学センチュリータワー)があります。この二つの建築の対比もなかなか面白いです。

吉阪隆正の建築についてはいくつも書籍が出ていてAmazonで簡単に購入することができます。興味が湧いた方はこちらからチェックしてみてください。

アテネフランセ基本情報

東京都千代田区神田駿河台2丁目11 MAP

アクセス:JR御茶ノ水駅より徒歩7分、JR水道橋駅より徒歩5分

ル・コルビジェに師事した吉阪隆正展「ヒゲから地球へ、パノラみる」を東京都現代美術館で鑑賞

吉阪隆正 設計 大学セミナーハウス 楔のような本館だけじゃない! 1期〜8期工事まで 現存建築全部見てきた!

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